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官衙研究の出発点 四之宮下郷遺跡群(奈良・平安時代)

平塚の歴史散歩 (平塚の遺跡)

官衙研究の出発点 四之宮下郷遺跡群(奈良・平安時代)

11.しのみやしもごういせきぐん

最終更新 1998年5月

 この遺跡は四之宮諏訪前から大神遠倉までの129号線拡幅道路工事に伴う調査で、砂州・砂丘を南北に縦断する長さ3000メートルにも及び、高林寺遺跡・六ノ域遺跡・諏訪前A遺跡等10数カ所の遺跡を総称した遺跡群です。
 遺跡は、砂州・砂丘、砂丘間凹地や自然堤防に立地しており、古墳時代から江戸時代までの遺構が1553基発見され、遺物も縄文時代から現代までのものが出土しています。細かく見ていくと、時代ごとに土地利用の変化を読みとることができます。
 この遺跡の成果は、古代の土師器・須恵器・灰釉陶器・緑釉陶器の豊富な土器から、土器編年が中原上宿遺跡に次いで体系化され、平塚市の土器編年が確立したことです。また、周辺の市町村や県の土器編年にも大きな影響を与えたことです。
 最大の成果は相模国府研究の出発点となる重要な資料が次々に発見され、『和名抄』(10世紀前半に成立)に記載された「府大住」(相模国府が大住郡に所在)は四之宮周辺(高林寺遺跡・六ノ域遺跡・諏訪前A遺跡)説を旗揚げしたことです。以後、追認する資料が豊富に出土し、「府大住」四之宮周辺説は一般的に認められるようになりました。

四之宮下郷遺跡の調査風景

身分を表す腰帯の飾り(石製品)

土器に書かれた文字(墨書土器)

奈良時代の高級な焼き物(三彩小壺)


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