平塚の歴史散歩 (平塚の遺跡)

東国初発見の焼印「井」 中原上宿遺跡(奈良・平安時代)

10.なかはらかみしゅくいせき

最終更新 1998年5月

 この遺跡は平塚海岸・伊勢原線の新設道路に伴う調査で、砂丘を南北に縦断する長さ800メートルにも及び、上宿遺跡・厚木道遺跡・山王脇遺跡・大縄橋遺跡を総称した遺跡群です。その成果の一部が、日本で初めての遺跡歩道公園として再現されています。
 最大の成果は竪穴住居址が87軒、掘立柱建物址が8棟が発見され、しかも、6世紀後半から10世紀後半まで比較的継続的な集落が営まれたことです。特に8世紀と9世紀の竪穴住居址群は律令社会が体現された集落と理解されますが、単なる集落と理解できない状況があります。
 ここでは文字に関連したものを紹介します。一つは長さ23センチの細長い棒の頭に「井」を表した焼印の出土です。二つめは「井」の墨書土器12点が出土しています。墨書は「集落内における最も有力な集団を代表する標識文字」と言われています。また「井」はドーマン(呪符)ではないかとの考え方があります。三つ目は「曹司」墨書土器が出土しています。曹司は官衙に伴う官舎を意味するものですから、官衙施設が存在したことの有力な証拠となるものです。
 文字資料から、中原上宿遺跡は官衙に関連した遺構と思いますが、具体的な内容はわかっていません。多くの謎を含んだ遺跡と言えます。

遺跡道路公園

古代の集落跡

焼印「井」

「井」墨書土器

「曹司」墨書土器