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台地と弥生人 上ノ入遺跡(弥生時代)

平塚の歴史散歩 (平塚の遺跡)

台地と弥生人 上ノ入遺跡(弥生時代)

05.かみのいりいせき

最終更新 1998年5月

 伊勢原台地の南端に展開する岡崎台地には多くの遺跡が存在します。岡崎小学校の校庭内にある上ノ入遺跡では縄文時代の集落の他に、弥生時代の集落も発見されています。この時代が水田農耕を基本とした社会であったことは、静岡県の登呂遺跡が有名です。しかし、水田址は残念ながら、平塚市では発見されていませんが、籾の痕がある土器が出土しています。籾の跡は水田農耕が行われていた証となります。
 後期後半の竪穴住居址は11軒が発見されています。その内4軒が火災にあっていますので、この4軒が同時期に存在したものと思います。火災の原因は分かりませんが、この軒数は当時のムラを支えた最小生活単位と考えられ、1家族か2家族と考えられます。狭隘な岡崎台地には大規模な集落は確認されていませんので、たぶん幾つかのムラが集まり、共同して水田耕作を行っていたと考えられます。ムラを支えた水田は上ノ入遺跡の北側に展開する土腐田と呼ばれる谷底平野や南側の後背湿地と考えます。
 弥生時代は基本的に平野の時代ですが、台地のムラと平野のムラとの差はあったのでしょうか。あったとすれば、何だったのでしょうか。

上ノ入遺跡の弥生時代の住居址群

火災にあった住居址

出土した土器

籾が付いた土器


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