大磯丘陵に延びる台地東端に位置します。明治の頃から貝塚が地表面に露出していることから、通称貝殻坂と言われていました。大正14年3月に、地元郷土史家の森照吉が発見し、4月に東京大学の松本瞭博士が調査しました。 縄文時代前期・中期・後期の土器、石器、貝類、獣骨、土偶や人骨が出土し、縄文時代前期の貝塚と知られています。五領ケ台貝塚とともに神奈川県の最西端に位置する貝塚として大変貴重です。出土遺物はほとんど東京大学が所蔵していますが、博物館にもあります。 大変興味深い資料を紹介します。一つは土偶と言われる土で焼いた人の形をしています。土偶のほとんどが女性を対象しているのが特徴です。壊れた状態で発見されることから、様々な解釈が行われていますが、最近では生殖・豊穣・繁栄にかかわる再生観念を表したものと考えられています。やはり、「母」は縄文時代から偉大であったと考えます。 もう一つは縄文人の下顎骨です。東京大学の埴原和郎氏によると、20代から30代前半の成人、今ではエスキモーにしか見られない歯ぐきの膨らみがあるとのことです。現代人より相当歯を道具として使用していたことが分かります。 | |
「貝殻坂遺跡」の碑 | |
縄文中期の香炉形土器 灯火具や香炉具の考え方がある | |
縄文中期の土偶 | |
縄文人の人骨「下顎骨」 | |
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