第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手します。当初、それは陸軍でのみ実施されましたが、大正一一(一九二二)艦政本部に担当部署が設置され、翌年、海軍技術研究所となり海軍でも本格的な化学兵器の研究と技術開発が始まります。昭和五(一九三0)年化学研究部第二科は、平塚海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、平塚出張所開設、同九年化学研究部となります。海軍の化学兵器は、防毒兵器・発煙剤・焼夷剤・艦船用消化剤・防空気球・特薬など多岐に亘ります。こうした兵器の中でも、特薬といわれたガス兵器は、催涙剤・くしゃみ剤・ただれ剤・致死罪の一〜四号特薬として知られ、必要に応じ艦砲用弾丸に充てんできるよう計画されたといわれます。 海軍技術研究所の碑は、その跡地に戦陣の鎮魂と世界平和を記念するため、平成六年に建立されました。 | |
![]() 海軍技術研究所の碑 | |
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