平塚の歴史散歩 (平塚の戦跡)

はじめに(平塚の戦跡)

最終更新 1998年5月

昭和20年7月16日は、平塚市および平塚市民にとって忘れることの出来ない「平塚大空襲」の日です。この空襲により、平塚市の大部分が灰と化し、300人以上の市民の尊い命が奪われました。
 当時の平塚市は、第二海軍火薬廠の他、日本国際航空工業・横須賀海軍工廠平塚分工場・第二海軍航空廠など、大規模な軍需工場が集中した軍事都市でした。空襲は、B29爆撃機132機により実施され、1,162tもの焼夷弾が投下されました。その結果、市域の60%近くが破壊されています。(戦災地図参照)
その被害は、平塚市内に止まらず、大磯・高麗・寺坂・高根・南原・中原・真土・四之宮・八幡・横内・長持・入野・柳島・中島など、広く周辺町村にも及びました。現在、空襲の爪痕や戦時下の遺跡が市内に数多く残っています。
ここでは、これらを順次ご紹介いたします。
なお、ここに掲載するコンテンツは平成9年10月〜平成10年9月にかけ平塚市役所ホームページ『ひらつか図鑑』のコーナーに掲載したものを用いています。古い建造物等についてはすでに失われているものが含まれる可能性があります。

平塚市戦災地図