平塚のお祭り −その伝統と創造− (I)

 囃子太鼓の曲目

平成17年夏期特別展図録 平成17年7月発行

 四之宮の前鳥囃子は、屋台、宮昇殿、昇殿、神田丸、唐楽、鎌倉、仕丁舞、印場、刻み、といった曲を演奏する。曲名は田村囃子とほぼ同じである。四之宮のように10曲近くの曲を演奏するのは、中原の各町内、豊田の各町内、城所、入野、北金目、万田、河内などである。
 中原は最近、昔の演奏曲目を復活させヨミヤのバチ合わせでメドレー風に演奏する。豊田は本祭に町内周りをする時などに演奏する。豊田本宿は他地区の演奏スタイルを取り入れ独自にアレンジしたお囃子を踊り付きで披露する。城所の正調城所囃子は、戦後に途絶えたが、唯一人の伝承者から習い昭和40年代に復活した。入野は昔からのオリジナルである。北金目は伝統の叩き方に加え、最近よそから学んで覚え、ヨミヤの独演会でメドレー風に演奏する。万田は山車で神輿を先導しながら数曲を叩く。河内は昔は「ハヤシ」だけだったが、熱心な指導者が昭和50年代に子供たちへ教え定着した。
 その他の所も戦前は多数の曲を笛付きで演奏していたが、現在叩くのは「囃子(屋台)」と「宮昇殿」「治昇殿」ぐらいである。「宮昇殿」と「治昇殿」は、子供には「囃子」より易しいので「宮昇殿」から教える所が多い。「ブッコミ−囃子−宮昇殿−刻み−囃子」という短い組曲形式で叩く所もある。
 「囃子」以外の曲が演奏されなくなった背景には競り合いの盛行の影響が考えられる。競り合いで演奏する曲は勇猛な「囃子(屋台)」に限られ、他の曲では弱くて負けてしまうので、しぜんと「囃子」ばかりを叩き、演奏頻度が減っていったのではないか。これらの曲は本来笛のリードで演奏していたので、吹き手がいなくなったことも演奏しなくなった原因であろう。現在、ほぼ全曲を笛付きで演奏するのは、四之宮、豊田本宿、城所、河内ぐらいしかなく、市内ではまことに稀少な存在といえる。