平塚の氏神様の祭に担がれる輿はどのような造りであろうか?人が物を担ぐ。一人で担ぐ天秤、二人で担ぐ差し担ぎ、四人以上で担ぐ輦台等がある。輿は輦台担ぎから発展したものである。その物が人であり、仏像であり、経典であり、神であり、人にとって大切な物であったと考えられます。それらを乗せる輦の形が鳳輦や葱花輦であり、厨子であり、神社である様です。平塚の87基(子供含)の神輿は鳳輦や葱花輦は無く、厨子が基本の権現造りの豪華なものがほとんどで、大人神輿32基の内、神社を摸した輿は平塚八幡宮と真土神社の2基だけです。胴の周りに高欄擬宝珠を飾り付けた回廊を回し、各面に階段を設けていて、神社宮殿そのものの造りになっています。2基とも戦前の神輿であり、平塚を中心に湘南地方の神輿の中でも数少ない構造の神輿で稀少価値のあるものです。茅ヶ崎の浜降祭に参加する神輿33基(平成14年)の中でも6基(戦後の昭和30年から50年代の造り5基)しか数える事が出来ない。
平塚の神輿のなかには愛川町半原の矢内匠家と大山の明王太郎と二宮梅沢の西山胴宮師によって造られた神輿が数多くあります。平塚の神輿は湘南神輿と言った方が良い様です。平塚を中心に大磯・二宮・茅ヶ崎・藤沢地区の神輿は飾り紐(太く編んだ房の付いた紐)は掛けない。晒し又はキヤラコを使い鳳凰から蕨手に巻き台棒に強く張る(捩り掛けと言う)をする。こうする事で激しく担ぎ神輿振りをしても神輿が傷む事がない。又調子をとる環が付けて有り、台棒は二天で担ぐのがほとんどである。足柄地方や津久井地方・愛甲地方の神輿は土地がら山・坂が多いため大形の輿は少なく小ぶりが多い。調子をとる環は付けていないのが多く、台棒は四天がほとんどである。鎌倉には鎌倉神輿があるが、これらも環が無く四天で担ぐのが多い。東京の神輿も同じ様に四天以上で担ぐのが多い。したがって掛声もそれぞれに違いがある。 平川直之 |