平塚のお祭り −その伝統と創造− (I)

 寺田縄日枝神社神輿

平成17年夏期特別展図録 平成17年7月発行

 寺田縄日枝神社の神輿は、慶応2年に三之宮比々多神社より、錺金物が外され金十両で譲渡された。直後に手中明王太郎景元によって大改修が行われた。和戸を唐戸に、明神鳥居を山王鳥居に改造し、彫刻を追加し、新しい錺金物を取り付け、漆を塗り直した。山王鳥居の神輿は県内で他に無いという。翌3年の4月3日にお披露目の神輿渡御が行われた。その後、明治28年にも明王太郎景元が修理した。
 神輿は、三之宮神輿だった頃の特徴が残されている。真柱の無い構造、屋根が短く胴が太いこと、一木造りの太い蕨手などは、現在の三之宮神輿にも共通する特徴である。このどっしりとした構造は、倒しても壊れにくいように頑丈に造られているためである。三之宮は暴れ神輿で有名で、国府祭の往復時は頻繁に地面へ神輿を倒した。寺田縄でも、昭和30年頃までは三之宮と同じく「ヨートウサッセ、ヨイトコーリャサッセ」の掛け声で担ぎ、酔っぱらって、麦畑の中へ神輿を倒したり、垣根へ突っ込んだりと荒っぽく担いだ。
 やがて寺田縄では由緒あるこの神輿を神宝として安置することにし、昭和57年に同型同寸の神輿の製作に着手した。製作は山王会(太鼓連)のメンバーが中心になり、神輿の写真を原寸大に拡大して図面代わりにし、全員ボランティアで作業した。金具類は浅草の宮本で購入し、6年の歳月を費やして昭和62年に新神輿が完成した。旧神輿に比べると、胴はやや細い。