58社の祭りを季節で分けると、春祭りが31社と圧倒的に多く、全体の過半数を占める。夏祭りは14社、秋祭りは13社で、冬祭りは無い。月別に見ると、3月1社、4月28社、5月2社、6月無、7月11社、8月3社、9月7社、10月6社で、4月が突出していることが分かる。とくに4月第一日曜日には7社もの祭りがある。
では江戸時代はどうであったのだろうか。58社のうち、『新編相模國風土記稿』に例祭日が記載されている神社は44社である。例祭日が複数ある神社は、現在の例祭日の元となっている日をとりあげた。その結果は、1月1社、3月2社、4月2社、5月1社、6月17社、7月2社、8月8社、9月11社である。旧暦なので、この一カ月から一カ月半後が現在の暦となる。3月4月の春祭りは4社しかなく、6月の夏祭りが17社と群を抜いて多い。現在の例祭とはだいぶ異なることが分かる。 もう少し『新編相模國風土記稿』の記述に注意してみると、同日の例祭日がいくつかあり、多いのは6月7日の4社、6月14日の3社、6月15日の6社、9月29日の4社である。6月7日から14日が例祭日の7社はすべて牛頭天王社であり、6月が多い一因になっている。6月15日が6社と多いのは満月や大潮との関連が考えられる。9月29日が多い理由は不明である。また八剣明神社3社は月は異なるが7日であることが共通しており、7日に何か縁があったと考えられる。 明治6年に太陽暦が施行されると、各神社は例祭を月遅れで実施するなどして対応した。その後、大正時代に養蚕が盛んになると9月の祭りは忙しくなった。城所ではお祭りにお客さんが来ても、養蚕でザシキに畳を上げてあるので、上がってもらう部屋も無く大変だったという。そのため農繁期前の4月上旬に変更した神社が多く、春にお祭りが集中する結果となった。このように、明治時代から昭和30年代にかけての例祭日の変更は、生業の変化によるものが多い。 その後、昭和50年頃から、勤め人の増加にともない土日祭りが増えた。昭和40年代に停滞していたお祭りが、50年頃から復活してきた時期とも重なる。現在、土曜祭りが15社、日曜祭りが39社である。明治以降で例祭日を変更していない神社は、平塚八幡宮の8月15日、前鳥神社の9月28日、岡崎神社の10月9日のみである。 四之宮前鳥神社は『新編相模國風土記稿』に「例祭五月五日」とあり、現在の例大祭に当たる記述が見られない。同じく国府祭に出御する一之宮寒川神社と三之宮比々多神社も同書で国府祭が例祭に位置づけられており、現在の例大祭に当たる記述が無い。比々多神社の4月23日の例大祭は、明治6年に国府祭が中断されたために、国府祭の伝統を引き継ぎ新たに再編成された祭りである。こうしたことから前鳥神社も近世には国府祭が例祭として位置づけられていたとしても不思議ではない。 |