膳椀類の記銘を見ると、お膳は裏面に家印を焼印や朱字で銘記したものが多い。これは、貸し借りの際に間違えられないためにも必要であっただろう。お椀は外底や蓋の表面に塗師の銘が陰刻してあるものが多いが、さらに家印を記入したものもある。
写真97は高足膳が22点あり、足高13.9cm総高17cmは収蔵品で最も足高のお膳となる。注目されるのは、このお膳を含め全部で12種44点のお膳を収納していたことである。それぞれ形やサイズ、塗りや作りの程度が異なるお膳が12種類あり、1点のみの膳も多いが、4点ずつ揃った膳が3種類あった。これらの膳を一度に使用したとは考えにくいが、何らかの使い分けがなされていた可能性がある。つまり、普段に家族が使うお膳と客用のお膳を区別していたとか、家族の中でも戸主は特別のお膳を用いたといったことが考えられるのである。22点揃いの高足膳は祝儀不祝儀用と思われる。 椀も同様で、たとえば親椀は外底に記銘があり、「治」が10点、「喜」が7点、「ミツボシ」が8点、「井」が1点、無銘1点の計5種27点を収納し、同じ黒塗だが、それぞれ寸法と形と塗りが異なる。これは、仮に「治」の四ッ椀を十人前買い揃えたとすると、別の機会に「喜」のお膳を十人前揃えたのではないかと思われる。つまり、一度に二十人前を揃えたのではなく、十人前ずつ買い足していったのではないかということである。だから、膳椀を所有している家ても、仮に十人前しか揃えていない場合は、数が足りないので別の家から十人前を借りて補うこともあった。また、こうした膳椀箱には銘や寸法が異なるお椀が1〜2点紛れ込んでいる場合も少なくない。頻繁に膳椀を貸し借りしたために、返却の際に他家のものと間違えて戻されてしまうこともあったのではないだろうか。 写真106の宗和膳は、膳収納箱2点に、それぞれ慶応二年と明治十年の墨書があり、後者には「惣輪膳七部高」と書いた紙が貼ってあるから、明治十年に購入したことは間違いないであろう。箱裏面に「森文右衛門」の墨書があるが、これは平塚市南金目坪之内の森家で、屋号を「モリブン」といって代々文右衛門を襲名し、周辺で一番の大地主であった。明治以降も金目村村長、県会議員を輩出した名家で、写真110の蝶足膳など高級感のある漆器類が寄贈されている。この宗和膳は、大小二組の膳が20人前近く揃い、おそらく一の膳、二の膳のセットで用いたと思われる。 | |
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