この石塔も須賀の特色をよく示しているものといえます。三島神社にはいくつかの奉納塔がありますが、玉垣の前には「奉」「納」「魚がし」と彫られた一対の塔があります。これは大正14年10月に建立され、昭和25年7月に再建されたもので、左右の塔には3人の発起人と36人の奉納者が刻まれています。
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![]() P18文字 などの家印が付いていることです。奉納者をみていくと、仕上げ屋と呼ばれた水産加工業や魚の仲買商、魚屋、さら地曳網などの網元、船元が含まれています。 須賀には、魚を扱う加工業、仲買商、魚屋が多かったわけですが、三島神社にはこうした人たちが奉納した石燈籠もあります。参道に建っている高さ3m程の燈籠で、これには他地方の魚問屋の名も見えています。明治21年7月に建立され、大正15年9月に再建されたもので、須賀の14人と漁業組合が発起人となり、「當所魚仲買商世話人」として40人、「八王子魚問屋として13人、「東京魚川岸魚問屋」として6人、「横浜魚問屋」として3人、他に須賀の人が23人、上溝宿の2人の名前と「當所漁船中」が測まれています。 「當所魚仲買商」とされる中には、ボテイと呼ばれる魚の行商人も含まれていますが、この燈籠では八王子や東京魚河岸、横浜の魚問屋も奉納者に加わっているのが注目されます。上溝宿として刻まれている2人もおそらく魚問屋であり、当時の須賀の魚をめぐる商圏の一端が示されていると考えられます。須賀のボテイの行動範囲は広く、相模川流域の地域を中心に北は八王子から青梅、西は秦野、山北周辺、東は戸塚、横浜まで伸びており、他地域の魚問屋の参加はこうしたボテイの活動とも関連すると思われます。 |
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