平塚八幡宮の境内には、浅間社の石祠が1社まつられています。台座も含めて1m程の大きさで、台座正面には富士山が浮き彫りにされています。これからも浅間社であるのが推測できるのですが、石祠には「嘉永元申年八月吉日 奉再建浅間社一宇 鶴峯山等覚院玉應」と彫られています。
『新編相模国風土記稿』には、八幡宮の末社の一つとして「浅間」があげられていますが、この浅間社石祠は元は「崇善小学校の東北隅浅間山に在って、社地四坪程の境内に高さ三尺程の石祠がある」(『平塚小誌』昭和27年刊による)と記され、後に現在位置に移されたことがわかります。浅間山というのは、今では面影はありませんが、八幡宮から続く砂丘で豊原町付近まで小高い丘で松林が続いていました。現在の地名の浅間町というのは、浅間社をまつっていたことからと考えられます。 平塚市内では高麗山から湘南平へ続く尾根の途中に浅間山(標高181m)があり、ここにも浅間社がまつられています。浅間社というのはいうまでもなく富士山に対する信仰の現れの一つです。富士山の登山口にはそれぞれ浅間神社があり、御師がいて登拝の先達を勤めるとともに、各地にその信仰を広め定着させていました。平塚の浅間社もこうした流れの中で考えられるものです。 富士山の信仰は一方では、富士講という形をとりますが、これは一部の地区以外は盛んではありませんでした。 | |
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