平塚三丁目の東海道本通りから南に入った路地には北野天神社がまつられています。天神様は、よく知られているように学問の神様として信仰され、境内には筆塚や手習い講中の建てた石塔があります。筆塚、手習い講中の塔は、平塚でも数の少ないものです。筆塚は昭和43年に建てられたもので、自然石に「筆之塚」と大きく彫られ、裏面には建立の趣旨があります。趣旨には「(前略)今同志相謀り、この愛すべき廃筆のため一ツにはその労を感謝し、一ツにはその霊を慰めるとして茲にこの碑を建てた地は書道の神として崇められる菅公を・・・」とあります。
手習い講中の塔は、残念ながらいくつかに割れてしまっていて元の形をとどめていません。安永5年(1776)という年号が刻まれ、「北野社御賽前 安永五丙申六月吉日 願主手習講中 清水山義仙代」とあります。筆塚は宝善院境内にも明治13年建立(斉藤麗山の句碑にもなっている)のものがありますが、「手習講中」という銘をもつのは、市内ではこれだけかもしれません。 | |
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