平塚・石仏めぐり-旧市内編- (2・旧須賀村)

地蔵尊


お地蔵様はなじみ深い石仏の一つだといえます。石仏といえばお地蔵様を思い浮かべる人が多いのではないのでしょうか。お地蔵様がなじみ深いというのは、逆にいえばそれだけ多く建立され、人びとの心に残っているということでもあります。
須賀にも多くのお地蔵様があります。現在までの調査では、墓石を除いて10基の地蔵尊が確認できていますが、このうち一番古い年号をもつのは長楽寺境内の地蔵尊です。下の写真のように舟型光背に浮き彫りにされた立像で、「(梵字 力)為二世安樂念佛講 干時寛文九天已酉七月吉日」と彫られています。梵字の「カ」は一字で地蔵菩薩を意味し、「二世」というのは現世と来世ということです。つまり、このお地蔵様は現世と来世の安楽を願って寛文9年(1669)年に念仏講の人たちが建立したものです。
寛文期の石造地蔵尊としては、乗蓮寺の境内に「妙心禅定尼菩堤」と刻んだ丸彫りの地蔵尊もあります。これは寛文2年(1662)の銘をもちますが墓石の一つです。墓石の歴史をみていくと、江戸時代初期には、角柱型の石に戒名などを刻んだ墓石よりも地蔵や観音像を彫った墓石が多かったようです。
二番目に古い年号をもつ地蔵尊は、三島神杜境内の寛政12年(1800)のものです。前頁写真のように櫛型の塔に地蔵立像を浮き彫りにしたもので、「寛政十二庚申年四月吉祥日 生國 大和國山辺郡丹波市村 須賀村雲晴庵主妙園」「諸国霊場順拝供養塔」とあります。雲晴庵というのは『新編相模国風土記稿』には、村人の内庵で海宝寺の末に属すが、近年洪水で破壊され、まだ再建されてないとあります。庵主妙園は大和国山辺郡丹波市村、現在の天理市の生まれで、諸国の霊場めぐりの供養に建てた塔であるのがわかります。
下の写真の乗蓮寺の地蔵尊は文政10年(1827)12月の建立で、先祖代々や三界萬霊の供養に建てられたものです。この地蔵尊は台も含めて2m余ある大きなものです。
長楽寺と善性寺の地蔵尊には年号がありませんが、いずれも子供(赤児)を抱いています。このような地蔵尊は子安(子易)地蔵といい、子どもの無事な成長を願ったり、安産を願ったりする仏となっています。

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