北豊田700西の路傍
西町では廿三夜塔を道祖神として祀っていることが『平塚市誌民俗調査報告書2』に記述されている。 廿三夜講は今も続いており、豊田本郷の新藤好和家に残されている文化7年「二十三夜々待講定書」にはすべて男性の講員7名が記されている。 なお、お飾り類は観音堂(北豊田1474)へ納める。 | |
安政3年(1856)二十三夜塔(左)と昭和62年(1987)二十三夜塔 ○安政3年二十三夜塔:<形>兜巾型 <材>凝灰岩 <寸>85×39×35 <銘> (右)安政三辰年孟夏吉日 川上いせ原道 (正)廿三夜 (左)川下ひら塚かない道 (台座正面)西講中 ○昭和62年二十三夜塔:新塔はすべて旧塔に倣って再建されている。 <形>兜巾型 <材>安山岩 <寸>87×37×40 <銘> (右)安政三辰年孟夏吉日 川上いせ原道 (正)廿三夜 (左)川下ひら塚かない道 (裏)昭和六十二年四月再建 (台座正面)西講中 |