平塚の道祖神 (神田地区)

横内上の東庭

最終更新 1998年5月

横内440東の路傍
田村境にある。

嘉永5年(1852)文字塔
銘文から、江戸時代すでに横内は独立したひとつの村として機能していたことがわかる。 「道祖神」の文字の下に「右」「左」と刻んであり道標を兼ねていたことがわかるが、肝心の行き先はセメントづけされた角石によって塔の下部が隠れ確認できない。 この塔が建っている道は古くからの道には違いないが、通りというほどではなかった。右へ行けば田村へ、左は下島へ通じる。 <形>駒型 <材>安山岩 <寸>57×20×12(下部埋没) <銘>(右)嘉永五壬子正月吉日 (正)道祖神 右左 (左)横内村東庭中