平塚の道祖神 (神田地区)

横内下の東庭

最終更新 1998年5月

横内3353-4路傍
八幡塚の道祖神から北へ少し進むと粕谷道の東西に集落が開ける。道の東側は東庭、西側は中庭の集落である。 東庭は横内のカミにもあるので、下の東庭と呼んで区別している。庭とは町や久保と同じように集落を意味する語である。

明治9年(1876)文字塔
「猿田彦大神」の神名をもつ道祖神は現在この一基のみである。県下でも猿田彦の名を持つ道祖神は少なく、『神奈川県道祖神調査報告書』によれば十五基である。 造立年代は文化10年から明治23年までである。「猿田彦」という神は庶民信仰に様々な役割を演じている。 天孫降臨の際、天之八衢においてニニギノミコトを迎え、その一行を先導した故事から道祖神と結びつき、一方では猿が「申」の音とあい通じるためか、庚申信仰とも習合することになった。 塔は剥落が激しい。手前に阿弥陀座像を浮き彫りした宝篋印片が置かれる。 <形>自然石 <材>凝灰岩 90×65×40 <銘>(正){猿}田彦大神 (左)明治九丙年子五月吉日 庭中建之