平塚の道祖神 (大野地区)

四之宮通り町

最終更新 1998年5月

四之宮899南の畑
旧所在地はセエトバと呼ばれ、すぐ先のホームセンタータカヨシの角(四之宮961)にあったが、店舗建設にともない3年ほど前に移動した。 移動してからは前鳥神社でセエトバライを行っている。

寛政9年(1797)双体像
右男神、左女神髷で、ともに袖中合掌。通り町内の諸伏姓三軒の道祖神と同じく墨で模様を描く。像容も酷似している。所々セメントで補填してある。 かつてセエトの火で焼いた痕が残っている。現在は銘は判読不能だが、『大野誌』に「寛政九巳年 三月吉日」と記録されている。<形>舟型 <材>凝灰岩 42×27×16 <銘>無し

補修前の道祖神