平塚の道祖神 (金目地区)

北金目中久保

最終更新 1998年5月

北金目1414路傍

祭場
ブロック囲いの中に、新旧二基の道祖神が多数の五輪石とともに祀られている。セエトバライを塚越古墳の近くで行うようになってからは、 二基の中央にあるゴロ石を持ち出して、御神体として扱っている。


大正9年(1920)双体像
共に袖中合掌で、個性的な表情を浮かべる。市内では、この後、昭和四十年代まで刻像道祖神の造立は無くなる。ある意味では、市内最後のオリジナルの双体像といえるだろう。 <型>櫛型 <材>凝灰岩 <寸>50×30×15 <銘>(正){大}正九申年十月吉日 北金目村竹内地徳


文化9年(1812)双体像
竹之内は北久保から、地徳は大久保から分かれて明治四十年頃に中久保ができたといわれるが、銘文から竹之内と地徳はすでに近世から一つのムラを形成していたことがわかる。 左右同型の有髪袖中合掌像で、北金目大北の双体像に似ている。<型>舟型 <材>凝灰岩 <寸>50×35×20 <銘>(正)文化九申九月吉日 北金目邑地徳竹之内