平塚の道祖神 (旧市内)

須賀仲町

最終更新 1998年5月

千石河岸30港稲荷神社境内
仲町の稲荷講は昭和27年の港完成以前は仲町稲荷と出笹稲荷の講中に二分されていた。現在は港稲荷に合祀している。道祖神も移動した。 『平塚小誌』に「仲町の道祖神は社殿をもち神楽奉納もされ土俗の信仰は厚い。傍らに二十何貫という力石が五箇程あるのも須賀らしい。 海で鍛えた力自慢の石である」と移動前の様子が記されている。道祖神祭は仲町稲荷講中17軒全員参加で行う。「稲荷や道祖神の役がまわってきたら渋い顔せず引き受けろ。 必ず出世する」と言われる。

昭和40年(1965)文字塔
石碑風の道祖神である。<形>自然石 <材>安山岩(根府川石) <寸>81×48×7 <銘>(正)正一位稲荷利大明神 玉串道祖神 昭和四十年五月建之 仲町氏子中

納められたお飾り


15日は鳥居の前に「玉串道祖神 仲町氏子中」の幟が並立。一時より社務所裏の空地で団子焼きを行う。団子焼きのあいだ、隣接の建物に注水し続ける。