土屋211路傍 |
昔は辻でセエトバライをやった。東風のときはカミ(西側)の辻、西風のときはシモ(東側)の辻で燃やした。
セエノカミの前に作っておいたワラの小屋は子どもたちが辻まで運んでセエトと一緒に燃やした。
明治35年(1902)双体像(下の写真の解説) |
左の男神は三白眼で目尻を吊り上げ、口をへの字に結び、右手に杖を持つ。右の女神は目尻を下げ、頬の膨らんだおかめ顔で笑い、左手に御幣を担ぐ。 女神は右手を男神の肩に回し、男神の左手はおそらく女神を抱いていることだろう。女神が喜色を表しているのに対し、恐い顔をしている男神は照れ隠しに笑いをかみ殺している様子ともとれる。 この像は北金目中久保の双体像と同じく、猿田彦と天鈿女を表現したものともいう。北金目の双体像と比べ、女神の髪型に若干の相違がみられるだけで、ほとんど同じである。 明治三二年造立の北金目より三年古いこちらの方が、造容は逆に明確である。 |
明治35年(1902)双体像 <型>櫛型 <材>凝灰岩 <寸>66×35×19 <銘>(正)明治三十五年一月建 |
年代不明双体像 右神は笏持ち。幾筋も入った衣の襞が特異である。<型>不明 <材>凝灰岩 <寸>40×33×20(上部欠損) |
祭場 2基ずつ2列に並んだ双体像が4基存在。 ●年代不明双体像:<型>不明 <材>凝灰岩 <寸>37×31×15(上部欠損) <銘>無し。 ●年代不明双体像:<型>不明 <材>凝灰岩 <寸>34×35×15(上部欠損) <銘>無し。 |
セエトバライにソバを供える 近所の家は、夕方ソバを供えに来たときに道祖神の石を一つ持っていった。昔は早く来ないと石が無くなってしまうほどだったという。 まわりの五輪石だけでなく、道祖神塔自体も借りた。ご馳走を石に供え、一晩泊まっていただいて15日の朝納めた。 |