平塚の道祖神 (旧市内)

平塚宿西仲町・東仲町

最終更新 1998年5月

平塚4-18-1春日神社境内
本宿各所の路傍にあった道祖神塔が区画整理などで移動、ないしは撤去を余儀なくされた現在、本宿鎮守春日神社のセートバライには多くの人が集まり盛大に行われる。 もともとは西仲町と東仲町の人のセエト場であった。また、東仲町でも東海道の北側に住んでいる人たちは東京電力平塚変電所の東側で団子焼きをしていたという。 さて、区画整理で撤去した道祖神塔やゴロ石は春日神社に納めたと『平塚小誌』に記されており、境内には末社九社を列記した立札の中に道祖神社の名があるが、 見たところ道祖神らしき石造物はない。春日神社の宮司によると、道祖神は境内の石仏群左端の猿田彦二基であろうということだが、あまりはっきりせぬらしい。 二基は三猿を彫った庚申塔と猿の丸彫像である。猿田彦は八衢の神とされ、道祖神と結びつくこともあり、庚申塔を道祖神の代替としている例もある。 境内にはたくさんの五輪石(ゴロ石)がみられ、これは路傍から集められたものと判断してよいだろう。

春日神社境内の五輪塔
昭和48年撮影