平塚5-2-34西の御領社境内 |
御領社ではセエトバライを行わず、柳町の住民は春日神社に行く。道祖神はかつては東海道本通りと国道一号線が合わさる北側の歩道(平塚5-25-10)、 ちょうど大磯境の所にあった。塞の神としての道祖神が祀られるにふさわしい場所である。通行の妨げになるというので、 昭和55年頃に春日神社宮司によって御領社境内に御霊移しが行われた。道祖神手前に石棒片が置かれている。かつてのセエトバにはゴロゴロ石と呼ぶ五輪塔の空風輪部があり、 セエトバライの日に子供達がこれを長い棒に結わえつけて持ち出し、町内の家々の賽銭集めにまわった。そのとき、「疱瘡三つかーるくなーれ」と唱えたが、 賽銭が少ないと「疱瘡三つおーもくなーれ」とか「悪病神舞い込め」と言ってゴロゴロ石で庭をドシンドシンと突いた。するとその家からは病人が出たという。 また、普段の日でもいじめられた子が仕返しにいじめっ子の家の縁の下にゴロゴロ石を投げ入れたりすることがあった。そうするとその家に罰が当たったという。 |
昭和25年(1950)文字塔 <形>駒型 <材>凝灰岩 35×20×14 <銘>(右)昭和二十{五}年一月吉日 (正)道祖神 |
かつて道祖神のあった所 昭和48年撮影。平塚5竏窒X竏窒R8の交差点。現在庚申塔や不動明王などの石仏が祀られている場所にも道祖神があった。 現在道祖神塔は無い。かつては柳町内がいくつかに分かれて道祖神を祀っていたようである。 |