平塚の道祖神 (旧市内)

平塚宿諏訪町

最終更新 1998年5月

諏訪町28-25諏訪部神社北
諏訪町一帯は昭和の初めに宅地化された新しい町で、昭和4年に大久保公園の一角に鎮守諏訪部神社を祀った。銘文の女学校とは、江南高校の前身の県立平塚高等女学校のことである。 なお、道祖神はかつて中里にもあり、春日野中学校東南の路傍(中里23-6)にあった。

大正14年(1925)文字塔
<形>櫛型 <材>凝灰岩 <寸>40×25×14 <銘>(右)大正十四年牛之年 女學校道 <銘>(正)道祖神

小屋ができる以前

平成3年(1991)文字塔
<形>櫛型 <材>花崗岩 <寸>43×25×15 <銘>(右)平塚市諏訪町20竏窒R3 榎本保房寄贈 (正)道祖神 (左)平成三年十一月吉日

セエトバライ
団子焼きの際は、諏訪神社境内に新塔を運び入れて祭壇を設ける。