平塚の遺跡

万田熊之台横穴群

まんだくまのだいおうけつぐん

最終更新 1998年5月

万田字熊之台に所在し、大磯丘陵東部の北に張り出す谷の西斜面に位置しています。横穴墓群は新期ローム層中に造られています。昭和55年に調査に調査が行われ22基の横穴墓が発見されました。遺物は、土師器坏・碗・甕、須恵器坏・碗・平瓶・長頚壷・ハソウ・甕、カワラケ、中世陶器、鉄剣・直刀・刀子・鉄鏃・弓飾金具、銅釧、棗玉・勾玉・切子玉・丸玉・ガラス子玉、耳環や人骨などが出土しています。本横穴墓群中一番古いと考えられる19号横穴墓は谷の奥の1号墓の南西、標高21、805mに位置し、全長6、90mを測り、玄室、羨道部と前庭部が完全に残っていました。玄室の平面形態は両袖の長方形プランで、天井部形態はドーム型です。内部には礫が敷き詰められていますが、壁際は少ないです。排水溝はT字型に奥壁と中央部に施され羨門まで走っています。羨道部は幅が狭くて長い。羨門の閉塞に使用された川原石が羨道部内に広がっており、二個ほど玄室内部で検出されています。前庭部は羨門より一段低く、コの字型に掘り込まれています。遺物は須恵器壺・平瓶・坏・ハゾウ、直刀・刀子・鉄鏃、銅釧、耳環、勾玉・ガラス玉が出土しています。22基で構成された本横穴墓群は、市内の横穴墓群の中にあっては特異な存在として位置づけることができます。丘陵の突端部の西斜面の標高20から24m分布しており、三から四段の列をなして、全体が構成されている。二二基の内、両袖タイプのものが、13基を占めています。市内の横穴墓群にあっては、希にみる多さであり、この横穴墓群の特質が隠されていると思います。遺骸を納める床が一段高くなった部分の棺座は、その棺座の位置や構造についても多様であり、特に両袖タイプの形態に棺座が施されるものがのが特徴です。また、造り付け石棺が両脇に施される事例は、県内でも少ないものです。

万田熊之台横穴群_全体写真

万田熊之台横穴群_12号横穴墓

万田熊之台横穴群_7号横穴墓出土須恵器長頸壺

万田熊之台横穴群_直刀・鉄鏃出土状況