四之宮字天神前に所在し、砂州・砂丘に立地しています。現在まで8地点調査が行なわれています。る。第8地点は未報告である。第1地点では掘立柱建物址3棟、住居址12軒、溝状遺構8条が検出されました。掘立柱建物址は8世紀前半が1棟、住居址は7世紀後半1軒、8世紀前半9軒、10世紀後半1軒、溝状遺構は8世紀代4条に時期区分されます。遺物には墨書土器「大仏」、鉄製品錠前鍵の他に鞴の羽口・取瓶が出土しています。本地点は8世紀前半の掘立柱建物・井戸・住居・溝の組合せにより、その性格は鞴の羽口・取瓶の出土から鍛冶工房と考えます。この時期が国府創建期であるだけに官衙鍛冶工房群の一角として位置付けされものと考えます。第2・4・5地点は小面積のために性格はよくわかりません。第3地点は掘立柱建物址1棟、住居址13軒、溝状遺構2条が検出されています。掘立の時期は分かりませんが、住居は7世紀後半1基、8世紀前半7基、9世紀後半2基、10世紀前半3基となります。遺物は墨書土器「真」、鞴の羽口・砥石・鉄製品・素鉄が出土しています。8世紀前半代の性格を「下級官吏の居住域」として報告者は捉えていますが、第1地点と同様に鍛冶工房群と理解しますが、9世紀後半以降の「真」を出土する住居址とどのように繋がるかは検討を要すると思います。第6地点は掘立柱建物址1棟、住居址16軒、溝状遺構6条が検出されました。掘立柱建物址は8世紀前半が1棟、住居址は8世紀前半7軒、8世紀後半5軒、9世紀前半2軒、10世紀前半1軒、溝状遺構は7世紀後半1条、8世紀代2条、9世紀代1条に時期区分されました。遺物は墨書土器・刻線土器、鉄製品・金槌・羽口・鉄滓が出土しています。第6地点の東に近接する第7地点は掘立柱建物址8棟、住居址44軒、溝状遺構19条が検出された。掘立柱建物址は8世紀前半1棟、8世紀後半1棟、9世紀前半2棟、9世紀後半3棟、住居址は8世紀前半14軒、8世紀後半6軒、9世紀前半8軒、9世紀後半10軒、10世紀前半3軒、後半1軒、溝状遺構は7世紀後半1条、8世紀代1条、9世紀代5条に時期区分されました。遺物は墨書土器・刻線土器・鉄製品(鉄製の分銅)が多く、羽口112点・鉄滓約19kgが出土しています。鉄滓の出土量は神明久保遺跡第1や第3地点に次ぐ量です。第6・7地点の傾向は遺構と遺物から8世紀から9世紀まで、官衙鍛冶工房の中枢をしめ、且つ工房址の周りに工人層の居住域として捉えることが可能です。東西や南北に延びる溝は工房内の職種や工程の違いを示しているのかもしれません。 | |
天神前遺跡_全体写真 | |
天神前遺跡_1号住居址(鍛冶工房) | |
天神前遺跡_全体写真 | |
天神前遺跡_13号住居址から出土した「群厨」墨書土器 | |
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