平塚の遺跡

神明久保遺跡

しんめいくぼいせき

最終更新 1998年5月

中原下宿字神明久保に所在し、砂州・砂丘に立地しています。現在まで8地点調査が行なわれ、第1〜5地点が報告されている。第1地点では住居址70軒、掘立柱建物址6棟が検出されています。住居址は8世紀前半1軒、8世紀後半1軒、9世紀前半13軒、9世紀後半15軒、10世紀前半16軒、10世紀後半9軒、時期不明8軒に時期区分されます。遺物は墨書土器「大住」・「吉」他、刻線土器、・具2点、銅・2点、古銭「延喜通宝」、銅製品「火熨斗」が出土していますが、特徴は鉄滓約77、3kgと市内最大の出土量と、鉄製品も多く刀子・釘・紡錘車等が出土している点です。鉄滓を出土する遺構は9世紀後半から10世紀後半の住居址からです。全体的な性格として官衙鍛冶工房的要素が非常に強いと考えます。なお、土製竃は県内で初めて出土した遺跡と注目されました。第2地点では住居址35軒検出され、9世紀前半4軒、9世紀後半11軒、10世紀前半11軒、時期不明9軒に時期区分されました。遺物は墨書土器「雲」他、古銭「承和昌宝」が出土しています。第3地点では住居址97軒、溝状遺構74条が検出されました。住居址は7世紀後半1軒、8世紀前半8軒、8世紀後半5軒、9世紀前半9軒、9世紀後半19軒、10世紀前半9軒・時期不明46軒です。溝状遺構に関しては古代の所産と考えられています。遺物は豊富で墨書土器「雲」・「城田」・「当六」他、か具1点、銅か1点、石帯2点、銅製品水滴、瓦塔、錠前が出土していますが、最大の特徴は金属製品・鉄滓・鉄滓付着容器の量の多さです。金属製品は鉄製品477点・銅製品20点、鉄滓は1406点・37、833g、鉄滓付着容器は308点・2、594g、銅滓9点・144gや羽口4点が出土しています。9〜10世紀を主体とする遺跡ですが、住居址の主軸方向や東西・南北に走る区画溝と出土遺物の内容から官衙的鍛冶工房址の性格が強いものと判断され、特に銅製の錠前牡金具は本址の性格の一旦を示す資料といえます。第4地点では掘立柱建物址6棟、住居址10軒、溝状遺構20条が検出されました。掘立柱建物址は9世紀後半2棟、10世紀前半2棟、不明2棟、住居址は8世紀後半1軒、9世紀後半3軒、10世紀前半4軒、10世紀後半1軒、時期不明46軒です。溝状遺構に関しては9世紀が2条で他は不明でする。9世紀後半〜10世紀前半が主体となる第1地点と第3地点の中間に位置していることに注目した場合、掘立柱建物址の性格は鍛冶工房址群の曹司的な機能をもったものと推定されます。第5地点は掘立柱建物址2棟、溝状遺構5条が検出されましたが時期は不明です。南北・東西に延びる溝状遺構3条は区画溝と推定します。本遺跡の相対的な傾向は9世紀後半〜10世紀前半を主体とするもので、第1地点や第3地点での遺物の出土内容から官衙鍛冶工房址群としての性格をもった遺跡として位置付けることが可能と考えますが、この時期に果たして律令的官衙工房が存在したのか、それとも官衙とは別の組織をもった集団であるのか、今後の課題といえます。

神明久保遺跡_平塚で始めて発見された土製竃

神明久保遺跡_全体写真

神明久保遺跡_全体写真2

神明久保遺跡_6号住居址