四之宮字山王に所在し、砂州・砂丘に立地しています。現在まで5地点調査が行なわれ、第1〜3地点が報告されています。第1地点では住居址9軒、溝状遺構5条が検出されています。住居址は9世紀前半2軒・9世紀後半3軒、10世紀前半5軒、10世紀後半1軒、溝状遺構は9世紀代1条に時期区分されます。遺物は墨書土器・刻線土器や石帯丸鞆2点が出土していますが、特徴となるものは灰釉陶器転用硯59点と銅滓約2、0672gで、現時点で最大の出土量となり、鉄製品も多く、鋏・鋸・鏨・飾り金具等が出土しています。これらを出土する遺構は9世紀後半から10世紀前半の住居址からです。全体的な性格として鍛冶工房的要素が非常に強いと指摘できます。官衙工房には多くの工房群が存在し、その工房の対象を銅滓や鉄製品・銅製品から鍛冶工房として捉えた視点は評価できますが、この時期に果たして律令官衙機能が働いていたかは問題があります。一方、転用硯が多く出土した事をどのように解釈したらよいでしょうか。墨を使う対象は様々あり、本地点の場合は鋏・鋸・鏨の道具や飾り金具が出土していますので、木工具(家具類)を制作するときに使う墨壷的な代役に使用したものであり、木工人の作業場や居住域と考えたいと思います。第2地点では掘立柱建物址5棟、住居址4軒が検出されています。掘立柱建物址は8世紀前半1棟、9世紀後半3棟、10世紀前半1棟、住居址は8世紀前半1軒、8世紀後半1軒、9世紀前半1軒、9世紀後半1軒に時期区分されます。遺物は墨書土器・刻線土器・鉄斧・砥石が出土していますが、特徴を見いだすものはありません。遺構では9世紀後半の掘立柱建物址3棟・住居址2軒・井戸址1基の組合せとなる。掘立柱建物址の3棟の規模は梁行3間(6、50m)・桁行2間(4、35m)、梁行3間(4、10〜4、30m)・桁行2間(3、70〜3、95m)、梁行5間(10、5m)で桁行は撹乱により不明です。遺構・遺物から性格を追求することは難しことですが、第1地点より120m西と近距離であり、しかも同時期の遺構であることからその性格を推定するならば、工房に関連する事務所的な曹司群の一角に相当するものと考えます。第3地点(国庫補助事業分)では住居址3軒を検出し、8世紀前半1軒・8世紀後半2軒に時期区分されます。遺物は墨書土器が出土していますが、鉄滓が10点ほど出土しています。住居址が3軒とも8世紀代であることに注意する必要があります。本遺跡の全体的な傾向として、9世紀後半前後の時期は官衙工房の一角に相当するものと考えますが、8世紀の段階での性格は現時点ではわかりません。 | |
山王B遺跡_全体写真 | |
山王B遺跡_8号住居址出土遺物 | |
山王B遺跡_全体写真2 | |
山王B遺跡_温石出土状況 | |
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