御殿に所在し、砂丘に立地しています。中原小学校一体が遺跡に範囲となっています。中原御殿は古道の一つであった奥州道に面した要害の地に設けられた徳川家康の駿府と江戸の往復や鷹狩りの時の宿舎と考えられており、「御鷹野御殿」とも「雲雀御殿」とも呼ばれていました。昭和56年の調査では古墳時代後期と中世・近世の遺構や遺物が検出され、縄文中期の土器片錘も出土しました。中原御殿に関わりのある遺構・遺物も発見されています。特に、平成3年の調査では御殿の堀が確認され、文献に記載された規模と合致したことがわかりました。 | |
中原御殿跡_全体写真 | |
中原御殿跡_北側全体写真 | |
中原御殿跡_1号井戸 | |
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