岡崎字山王久保に所在し、鈴川と渋田川に挟まれた伊勢原台地の南端に位置する狭義の岡崎台地(大字岡崎)の中央部平坦面に立地しています。12地点の調査が行われ、縄文・弥生・古墳・古代・中近世にかけての複合遺跡であることが分かり、比較的安定した居住空間の場であったと考えられます。縄文時代は中期の住居址、古墳時代は6世紀後半、古代は8・9・10世紀の竪穴住居址が検出されていますが、狭隘な立地条件のために、大規模な集落は作られませんでした。古代では南武蔵(東京都)の赤彩盤状坏、南比企(埼玉県)窯産の須恵器坏・蓋や湖西(静岡県)窯産の蓋が出土しています。岡崎地区は古代の大服郷に推定されているところです。 | |
山王久保遺跡_全体写真 | |
山王久保遺跡_断層によってずれた20号住居址 | |
山王久保遺跡_1号住居址 | |
山王久保遺跡_3号住居址 | |
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