4日から始まった展示室寄贈品コーナーの展示「平塚空襲展」。
その中、通称三角コーナーは、かなり年季の入った写真パネルで背景が構成されています。これは、平成7(1995)年の夏期特別展「44,7716本の軌跡-平塚の空襲と戦災-」のときにフィルムからロール印画紙に大伸ばししたものです。

屏風のような写真パネルを背景に立てた、寄贈品コーナーの展示。

外注ではなく、当時の学芸員たちの手作りです。

写真:暗室のドア

当館には、いまはもう「使用中」の灯は点らない、写真用の「暗室」があります。
かつてはここで、現像液や定着液を溶いて、撮影したフィルムを現像したり、印画紙にプリントしたり、写植機のペーパーを現像したりしていました。学芸員は全員がその作業を習得しており、それぞれの分野に、こだわりのフィルム選び、現像処方がありました。

ただし、特別展でしばしば行なったこのサイズの「大伸ばし」はまた、特殊技術。
この空襲のパネルはまだ小さいほうで、たいていはベッドや畳くらい大きな写真パネルを合わせて1枚の組写真にします。当然、暗室の引き延ばし機の投射距離を超えています。
では、どのようにしていたかというと‥

写真大伸ばし作業の図(焼付)

この図は、当館の年報第5号(昭和57年刊!)に掲載されているイラストです。描いたのは美術担当だった森田英之学芸員(当時)。‥ああ、丁寧な手書きイラスト、森田さん、今見てもさすがです。
大伸ばしは、特別展示室を締め切り暗室化した中で、図のように引き伸ばし機を横に向け、壁に貼ったロール印画紙に投射し、写真を大きく焼いたのです。現像や定着は、床に材木を置き、ビニールシートで即席の大型バットを作って行ないました。

写真大伸ばし作業の図(現像)

引伸機は大型の台車に載せ、距離(サイズ)、角度、ピント調節をしました。ひとりが引伸機を操作し、壁に2人以上張り付いて、測定や試し焼きを行います。写真知識に強い鳫学芸員が引伸ばし機担当でした。現像は4人くらいがバットを囲み、大きな印画紙を現像液~停止液~定着液に浸けて処理します。気泡に注意して、しかも大きな印画紙の全面を同時に液に触れさせるため、初めの一瞬に気合が入る作業でした。うまく浸けたら、気にせず素手でジャブジャブとやって液を攪拌しました。現像具合は、赤いセーフライトで確認できますが、ジャブジャブ(いや、道具使ったかな)している作業者は写真の一部しか見ていません。全体を統括する係がいて「はい、上げて」などと指示していましたが、パノラマのような組み写真は(たいてい組写真なのですが)、各葉の調子を合わせるのが大変でした。

ちなみに、定着処理後の水洗工程は、屋外展示の敷石住居址に水を張って、池にしました(ええっ、いいの?と初めは思いましたが)。液を洗い流して、ガンタックとパネルテープを用い、木製パネルに水貼りしました。

屋外展示 敷石住居址

当時、学芸員は係長を含め9名(空襲パネル作成のころは8名)。大伸ばしは、ほぼ総出の作業でした。
大型カラープリンターが導入され、平塚市博物館史上、印画紙への大伸ばしは、現在展示中の焼け跡のパノラマが最後だったと思います。ということは、浜野現館長が最後の経験者でしょうか?

久しぶりに、森田さんのイラストに感心していたのですが、よく見たら
あーっ!森田さん‥引伸ばし機のコンセントが抜けてますっ!!
作業中も、そんな、にぎやかな感じでしたよね。みなさん。