先週のNHK大河ドラマ「光る君へ」の放送回では、『枕草子』誕生の瞬間(?)が描かれました。実は現在当館で投影中のプラネタリウム番組「月を詠み 星を綴る ~王朝文学に刻まれた月と星」の冒頭も、語り手が『枕草子』の一節を朗読するシーンから始まります。

番組の冒頭に登場するのは「春はあけぼの……」ではなく「日は入り日……(二百三十四段)」と「月は有明の……(二百三十五段)」です。月と星ですからね。
ところで、そのシーンで入り日と有明の月をデジタルプラネタリウムで再現しているのですが、さて、それはいつの入り日(日没)と有明の月なのでしょうか。番組をご覧になった皆さんでさえ気付けるものではありませんが、実は裏(?)設定があるのです。

まずは入り日。”落日”という言葉があるように、夕日にはマイナスなイメージが少なからずつきまといます。そして落日と言えば、清少納言が仕えた中宮・定子の実家、中関白家でしょう。今回のドラマでも、定子と中関白家の華やかなりし時代の記憶を思い起こさせることが『枕草子』執筆の動機だという最新の研究成果を踏まえた描写がなされていました。そこで、プラネタリウムで投影するのは、清少納言にとって唯一無二の”推し”である定子が崩御した長保二年十二月十六日(1001年1月13日)の日の入りとしました。清少納言は、定子が崩御してまもなく内裏を去っていますから、そのときにも夕日を眺めたかもしれません。『枕草子』の「日は入り日……」にはそこまで(まったく?)もの悲しさが表出されているわけではありませんが。あ、ちなみに語りの後に映し出される画像は当館の屋上で撮影した夕日です(笑)

続いて有明の月。「東の山ぎはにほそくて出づるほど」とあるように、これから昇りゆく月、しかもまもなく夜明けを迎える空に浮かぶ月です。そしてまもなく新月を、新しいはじまりを迎える月でもあります。そこで、「日は入り日」とは反対に清少納言が定子の元に出仕した年(正暦四年)の冬の有明の月が見える日、ということで正暦四年十一月二十七日(994年1月11日)の明け方の空としました。
さて、ここで困ったのが”東の山際に細く出づる”月の画像です。相模川の西に位置する平塚では東に山を望むことができません。そこで使わせていただいたのが澤村学芸員が二宮町で撮影した有明の月です。まぁ、山というよりは丘?ですが。

山の端に沈む太陽/月や山の端から昇る太陽/月は、しばしば和歌に登場します。『枕草子』の冒頭でも「春はあけぼの……」と「秋は夕暮……」の2か所に”山ぎは””山の端”と出てきますよね。どうやら当時の都の貴族たちにとって、太陽や月は山に沈むのが、山から昇ってくるのが美しいとされていたようです。「武蔵野は 月の入るべき 嶺もなし 尾花が末に かゝる白雲」(続古今和歌集)という歌があるくらい。さすが、四方を山に囲まれた平安京に暮らす都人ならではの感性と言ったところでしょうか。

こんな感じで今回のプラネタリウム番組は各シーンごとに隠された(?)場面設定があります。まぁ、番組制作者の個人的感覚によるものですが(笑)
これはいつの空だろう?と見ながら考えてみるのも面白いかもしれませんよ。