春期特別展関連行事として、実際に市内の古道を歩く「実踏!ひらつかの古道」。5月12日は南原と中原を歩きました。

出発は日枝神社。伊勢原道・中原街道や江戸時代の村絵図に描かれた道を、途中で関連する史跡をめぐりながら歩きます。

中原街道一里塚跡
中原の高札場跡。中原御殿へ向かう道と中原街道との交差点にあたる。
中原御殿跡で、中原御殿の軍事的意味を説明する栗山元館長
南原の善徳寺山門。明暦3年(1657)に取り払われた中原御殿の裏門が移築されたものと伝えられている。
南原の中を流れる鈴川。宝永4年(1707)の富士山噴火による降砂の堆積で金目川・鈴川・玉川(渋田川)の三川合流地点に水が溜まり、その水を抜くために享保6年(1721)、南原村を分断する形で現在の鈴川の流路が掘られた。かつてこの道の先に鈴川を渡る土橋が架かっていた。
中原御殿へ向かう道にはクランク状に曲がった形状をした道がいくつか存在した。こうした道は鍵の手の道と呼ばれ、敵が城などに直接的に攻め込みにくくする意味があった。現在は新しくできた道と交わり、生活道路の一部として利用されているので、その道が古い鍵の手の道であることにはなかなか気づかない。写真は南原2丁目の鍵の手の道にある道標の解説をする福田学芸員。

普段、何気なく通っていた道が思いがけない古道であることに気づいたり、古道の通り方に地域の歴史や地形と関係した意味があることなどがわかったりなど、とても興味深いウォーキングとなりました。なにより事故もなく無事に終了できてよかったです。お疲れさまでした。