現在投影中のプラネタリウム番組「見たか家康 家康の生涯を彩る天変」。当番組で取り上げた天文現象を深堀りする連載記事(?)の第4回は「『家忠日記』と天象」と題し、家康の家臣・深溝松平家忠が残した日記に記された天文現象を紹介しましょう。

昨日(6月11日)放送のNHK大河ドラマ『どうする家康』では設楽原の戦いが描かれました。酒井忠次率いる別動隊による鳶ヶ巣山砦攻略がこの戦の趨勢を決し、織田・徳川両軍による一方的な勝利となります。しかし、深入りしすぎた深溝松平伊忠は武田勢の反撃にあい討ち死にしてしまいます。この伊忠の嫡男が今回の主人公・松平家忠です。

松平家忠は天正三年(1575年)から文禄三年(1594年)までの17年間にわたる日記を残していて、『家忠日記』と呼ばれています。その日に何が起こったのかを簡潔に記したもので、中には天文現象の記録も残されているのです。

『家忠日記』(寛政十三年写本)
天正七年四月二十三日条には武田勝頼が駿河国江尻に出陣したことが記されているなど、武田勢に動向を逐一記録していたことがわかる。画像提供:国立公文書館

例えば天正八年九月一日(1580年10月9日)条には尾が長い小さな彗星が出現したと記されています。これはC/1580 T1と呼ばれる非周期彗星のことでしょうか。さらに同年六月十五日(1580年7月26日)条には次のように記されています。
「ほしあいなり、子刻にほしあい、南へまわる」
さらに「月しょくいぬゐの時かいけん」とも追記され、星食と月食が同時に見られたことがわかります。実はこの現象、皆既月食中に土星食が起こるという非常に珍しい現象だったのです。

『家忠日記』天正八年六月十五日条(赤矢印の箇所)
画像提供:国立公文書館

どれくらい珍しかったかというと、同様の現象(皆既月食中の惑星食)がこの次に起きたのは2022年11月8日、つまり442年後だったのです。
2022年といえば昨年。そう、昨年11月8日に見られた皆既月食中に起きた天王星食です。平塚では好天に恵まれ、皆既中の赤い月が天王星を隠す様子をしっかりと撮影することができました。

『家忠日記』の記述は、いかにも家忠本人が星食や月食を見たかのような書きぶりです。”かいけん”が何のことかよくわかりませんが、いぬゐ(=戌亥/乾)とは20時~22時頃のことで、この月食が終わり月が復円したのが21時48分ですから、”かいけん”を”皆見”とすれば納得がいきます。
家忠が見たということは家康も……?想像が膨らみますね。

天正八年は、ほかにも一月に月食が、二月に日食が起きましたが、いずれも『家忠日記』に時刻とともに記載があり、いずれも正確に記されています。が、17年間の日記の中で日食や月食について触れているのは以上の3件だけ。他にもいくつもの日食月食が17年の間に起きていますがいっさい記録に残されていません。天気が悪かったのか、見てないだけなのか、……?日記には天候の記載もありますから、確かめてみると面白いかもしれませんね。

彗星については、先に紹介した天正八年のほか、天正五年に出現したものについても書かれています。この彗星、実は史上稀に見る大彗星でした。このことについては、次回、ご紹介することにしましょう。