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発見!ひらつかの民俗 第4回 ダンゴヤキの思い出(2009年11月20日)

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第4回 ダンゴヤキの思い出(2009年11月20日調査)

  入野にお住まいのIさんからダンゴヤキの話しをお聞きした。Iさん宅では1月4日の朝に正月飾りを外す。4日は坊主の年始といって、お寺の住職が年始回りに来るので外す。7日の七草に外す家も多い。
 外したお飾りは、各自で道祖神へ納めに行く。かつては1月13日午後に子どもたちが集めに来た。リヤカーを引き出して各戸をまわり、「お飾りを集めに来ました。藁束を5把いただきます」と唱えた。家々ではお飾りと藁束に50円くらいを集め賃として渡し、夕方子どもたちは道祖神へ納めた。藁束は翌日つくるオカリヤの材料とした。
 小学1年から6年までの男子がダンゴヤキに参加した。6年生がテンカといって親分になり、5年生がテンカシタという補助役になった。6年生が複数いたらジャンケンでテンカを決めた。
 14日の午前中、子どもたちが学校へ行っている間、大人が道祖神の前へオカリヤをつくった。竹を四本立て、下部をお飾りで囲い、上部にしめ縄をはった。1間半×1間半くらいの小屋だった。小屋の内部に藁の束を並べ、その上にムシロをしいた。正面に小さなお膳を用意し、アクマッパライの御幣を立て、御神酒の入った一升瓶と盃がわりのコップをのせた。御幣は福田寺の住職に切ってもらい、御神酒もお寺からもらってきた。

▲オカリヤづくり(昭和50年 八坂神社) ▲完成したオカリヤ(昭和50年 八坂神社) ▲アクマッパライの御幣

   14日は学校の授業も早く終わった。子どもたちは午後2時頃から5時頃までオカリヤで過ごした。小屋の中で火鉢にあたって餅をやいてたべたり、おせんべいや落花生をたべたりした。飲物は甘酒やお茶だった。下級生はカルタやトランプで遊んだりした。
 オカリヤの中で人が通りがかるのを待っており、人が来ると「お参りしていってください」と言って、「ホーソーも軽く、ハシカも軽く、アクマッパライ、アクマッパライ」と唱え、御幣で祓った。お賽銭をもらうとお辞儀をし、御神酒をコップに注いで飲ませた。
 ダンゴヤキの日は辻々にオカリヤが立っているので地元の人は避けて通った。万田方面の人が岡崎へ行くには金田を通った。人が来ると「来たぞ」と言って、道路へ縄を張ってふさぎ、横道へ逃げないようにして強引にお参りさせた。夕方になると御神酒の量が減ってくるので、水を足していき、最後はほとんど水ばかりになった。集まったお賽銭はテンカが1年から5年生まで差をつけて分配した。
 夕方5時頃に大人が小屋を壊し、田んぼの真ん中へ運び、火をつけて燃し、団子をあぶって食べた。道祖神前の道路で燃す町内もあった。
 以上は、Iさんが経験された昭和30年前後の入野川崎町のダンゴヤキの様子である。もっとむかしは、集めたお飾りを道祖神にかぶせて焼いたという。だから道祖神は煤だらけで真っ黒になっているのだという。むかしの人は「サイノカミサマは厄を受け取る神さまで、お参りする人のいろいろな厄をもらう」と言っていたという。
 入野5ヵ所の辻々にあった道祖神は昭和45年頃に八坂神社へ寄せられた。現在は、1月第2日曜日に入野全体が八坂神社でダンゴヤキを実施している。

▲ダンゴヤキ(昭和50年 八坂神社) ▲八坂神社に寄せられた入野の道祖神

 

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