4 大地の生い立ち
●相模川流域の1億年の歴史
ここでは、相模川流域の1億年に亘る大地の歴史を9つのステージ、すなわち四万十帯の堆積と付加、南の海の丹沢、石英閃緑岩の貫入、丹沢の衝突と相模川の誕生、伊豆の衝突、二宮層の海、下末吉海進期、古富士火山活動期、縄文の海に分けて、古地理図や写真、岩石や化石の実物標本を基に展示しています。身じかな自然の中にみられる様々な岩石から大地の生い立ちを知る証拠を読みとって下さい。
●四万十帯の堆積と付加
相模川流域の源流をなす丹沢山地や小仏山地は、現在とはかけ離れた場所で地層が形成され、プレートに乗って運ばれ本州弧に衝突して付加され、山地となったものです。小仏山地は約1億年前縲鰀4000万年前頃に深海に堆積したもので、東海縲恷l国縲恚繽Bに細長く連続する四万十帯の一部です。深海性の泥岩に本州から乱泥流として砂が流れ込んで堆積したもので、3000万年前頃、本州に付加し、丹沢の衝突により関東山地となりました。
微褶曲した小仏層の頁岩。深海に堆積した泥岩が
続成作用と圧力を受けた。(藤野町佐野川)
●南の海の丹沢
丹沢は、1700万年前にフィリピン海プレート上の海底火山として生まれ、溶岩や火山砕屑物を多量に噴出して1000万年前頃にかけて活動しました。水中溶岩流を示す枕状溶岩・溶岩角礫岩の他、火山噴出物が二次的に移動堆積した水中土石流堆積物(デブライト)、乱泥流堆積物(タービダイト)が、1万mもの厚さで積もっています。この時期の気候を示す化石として亜熱帯性のサンゴ化石が山北町から産します。
丹沢が海底火山であった証拠を示す枕状溶岩
(津久井町早戸川。枕を積み重ねたように見える。)
●丹沢の衝突と相模川の誕生
丹沢の衝突を物語る礫岩(清川村宮ヶ瀬。
落合礫岩。丹沢のグリーンタフの礫がみえる。)
●伊豆の衝突と富士・箱根の活動
100万年前頃、今度は海底火山だった伊豆が北上して丹沢に衝突しました。この衝突により丹沢は急激に隆起しました。 箱根火山は50万年前から、富士火山は10万年前から活動を開始しました。大磯丘陵には、この時期の厚い火山灰が見られ、関東ローム層として知られています。これらの火山活動は太平洋プレートがフィリピン海プレートに潜り込むことによって生まれています。大磯丘陵にはこの頃の地層として二宮層が分布し、豊富な貝化石を含み、浅海であったことがわかっています。
●縄文の海
縄文時代の約6000年前は、世界的な温暖期で、は海面が高く内陸まで海が進入していました。この時期を縄文海進期と呼びます。現在の平野はこの海に堆積した沖積層からなっています。市内東豊田の地下からは工事中にチョウセンハマグリやサクラガイなどの貝化石が多量に見つかっています。市内岡崎の小田原・厚木道路をまたぐ陸橋工事では地下36mから金目川の河床礫が見つかり、金目川の流路跡も明らかになりました。
東豊田の地下から見つかった縄文時代の貝化石
(市内東豊田。豊田が浅海であったことを示す。)
●地層の剥ぎ取り
また、実際の地層の姿を見てもらえるよう、市内万田にある、浅海に堆積した砂礫層の実物はぎ取り標本を展示してあります。砂粒が並んだ葉理は水流によって運ばれたもので、それが集まって一枚の砂層(単層)を作っています。地層全体としては砂層と礫層が互い違いに重なっています。2つの単層の境目を層理面といいます。砂の並んだ葉理には層理面に平行なものと斜交したものとがみられ、水流の流れた向きを知ることができます。地層中の礫には丹沢のグリーンタフが含まれ、丹沢から礫が運ばれたことがわかります。また、断層運動の跡を示す断層もよく観察でき、深部から地表に向かって断層が分岐しているのがわかります。断層の左右の地層を観察して、断層のずれの量がわかるでしょうか。
浅海に堆積した実際の地層のはぎ取り
(市内万田。砂層の縞模様がよく観察できる。
小規模な断層も数多く見られる。)
●神代杉(ヒノキ)の年輪
産地:箱根町仙石原終末処理場 (現 仙石原浄水センタ一)
地層:(神山山崩れ堆積物
時代:約3100年前
寄贈:神奈川県西湘下水道整備事務所
このヒノキは約3100年前に起こった神山の山崩れにより、 山腹に生育していたものが仙石原湿原に埋められたもので、 樹齢700年もあります。この山崩れにより早川がせき止め られて芦ノ湖が生まれました。ですから、このヒノキは芦ノ湖 の生い立ちと、約3100年前~3800年前の縄文時代の気候を 物語っています。
神代杉(ヒノキ)の年輪
●中央地下道から産出したタブノキ
(産地:平塚市錦町中央地下道地下5.1m)
(地層:沖積層の海浜砂礫層・約2000年前)
1964年、平塚駅西の中央地下道工事の際、標高2mから長さ4m程の巨大な埋もれ木が発見されました。この埋もれ木はタブノキで、樹齢300年ほどのものです。年代測定の結果では、1950年前(西暦1950年を基準とする)という値が得られており、約2000年前には東海道線付近は海浜であり、漂着物としてタブノキが打ち上げられたことになります。
タブノキ
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